2010年01月17日

ブログ移動しました

使い勝手をみて、ブログを移動しました。

http://musigosiki.blog.so-net.ne.jp/

しばらくは上記で書いていく予定です。

posted by まるさ at 11:26| 日記

2009年11月25日

三展はしご・3(完)「古代ローマ帝国の遺産」

国立西洋美術館
「古代ローマ帝国の遺産−栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ」
2009.9.19(土)〜12.13(日)
訪ねた日 2009.11.21
書いた日 2009.11.25



みっつめは、古代ローマです。
国立西洋美術館開館50周年記念。
帝国の誕生から最も繁栄した時代を、
美しい彫像や多くのフレスコ画、ポンペイの出土品などから辿るもの。
東京大学が2002年から手がけている、ナポリ東南のソンマ・ヴェスヴィアーナという遺跡での、
最新の発掘成果も並んでいました。

「皇室の名宝」展、「冷泉家」展と見てきた後では、
正直、気楽にまわれてほっとするものでした。

第一章の、アウグストゥスとその一族の数々の彫像は、
すべすべとした大理石で見ているだけで綺麗です。
もし日本にも大理石があったなら・・・どんな彫刻が生まれていたでしょうね。

しかしこれら彫刻は見ているだけよりも、解説を読むとどんどん面白くなります。
世界中でどんな時代にも飽きもせず繰り返されてきた、
権力争いと血筋の問題。
特に、初代皇帝アウグストゥスが、3度結婚したのに男子に恵まれなくて、
ひとり娘を親族や部下に嫁がせまくって(3回ですが)なんとか後継男子をと必死な様子に、
苦笑するというよりは、寂しいものを感じてしまいました。
結局、三番目の妻の連れ子に第二代皇帝を継がせることに・・・。
たくさんの立派な彫像も、将来への不安をぬぐうためのもののようにもみえてきます。


第二章は、ローマが都市として整備されていく様を、
家財道具やフレスコ画から読み解いていくもの。
たくさんのフレスコ画は、時の流れで鮮明さにこそ欠けていますが、
2000年近く前の出土品とは思えない、現代にも通じる「絵」です。
神話を題材にするのものがほとんどみたいですが、素直でわかりやすいです。

誰もが足をとめてしまうもののひとつに、
骨壷がありました。
フタつきの青い透明なガラスの壷に、焼かれた遺骨が入っているのです。
「誰のお骨・・・こんなところで見世物にされて・・・」
皆人のささやきは同じ。
自然に手を、そっとあわせてきました。


第三章は、金貨や宝飾品、天秤といった富を象徴するもの。
銀の食器やランプ台が面白く、
特に「シレノスのカンデラブルム」というランプ台は、
筋骨逞しいヒゲもじゃの短躯のおじさんが、
ふんどし一丁で片手でランプ台を持ち上げているもので、
その形態はまるで興福寺の天灯鬼龍灯鬼の天灯鬼みたいでした。

最後の部屋の、ポンペイからそっくりはがしてきた、
「黄金の腕輪の家」というお家の、「庭園の風景」というフレスコ画と、
「モザイクの噴水」というモザイク画は圧巻。
それぞれ2方向の壁と、ドーム型の噴水の装飾をそのまま持ち込んでいるのですが、
写真で予想するよりもはるかに天井の高いもので、その美しさとともに、
高い文化・技術水準を感じました。
庭園の風景のほうは、男女の生首みたいなのがぶらさがっているように見えて、
どんな意味なのかカタログを楽しみに読んだのですが、特に言及がなく、
気になって仕方ありません。


ソンマ・ヴェスヴィアーナでの発掘成果として、
左腕に豹を抱いたディオニュソス像と、
ペプロスというギリシアの衣装をまとった女性像が出ていました。
どちらもとてもとても綺麗です。
届かない綺麗さといいますか・・・心が通じる余地のない厳然たる美です。


ところで、この会場に、最近都内では見かけることの少ない、
お腰の90度曲がった小柄なご老人が、杖をつきながら見に来ていました。
30年前に亡くなった私の祖父の、半農半漁生活で腰が90度曲がっていた様子と重なり、
なんとなく気になっていましたら、ほとんど同じペースで観覧していた様で、
最後の部屋でも一緒になりました。
あの、ポンペイの大きなフラスコ画のある部屋です。
すると、同じように90度お腰の曲がった白髪のご婦人とともに、
ポソっと中央の椅子に座られ、お二人で壁画を見上げながら、
静かに造詣深いお話を語られ始めたので、感動してしまいました。
羨ましいお姿でした。
posted by まるさ at 15:08| 美術館

三展はしご・2 冷泉家展

東京都美術館
「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」
前期 2009.10.24(土)〜11.23(月・祝)
後期 2009.11.25(水)〜12.20(日)
※前後期で完全入れ替え
訪ねた日 2009.11.21
書いた日 2009.11.25

<巡回予定>
京都文化博物館
2010.4.17(土)〜6.6(日)



ふたつめ、都美の「冷泉家」展。
冷泉家時雨亭叢書完結記念、朝日新聞創刊130周年記念ということで、
朝日新聞が総力をあげてのバックアップ。

先にこの時雨亭叢書をごくごく簡単に知れば、これもびっくり。
冷泉家とは、藤原俊成・定家などで有名な平安末から続く、和歌の家。
京都のお公家さんですね。
その家が800年間守り続けてきた膨大な数の典籍から、
特に史料的価値の高いものを選び、
全写真版で84巻というものすごい書籍にして出版したものが時雨亭叢書。
朝日新聞出版からの刊行、一冊平均税込みで3万円前後します。
800年間の原典保存もものすごいですが、
全写真版84巻の刊行も、並の出版社では絶対不可能な難事です。

実はこの典籍類、戦前まで天皇の「勅禁」によって一般の閲覧は不可だったそう。
存在は知られていても目にすることは不可能とは、研究者にとってどれだけ辛いことだったか。
しかしこのご時世、こんな貴重で大量の史料を個人で所有するのは無理に近く、
また、戦後のご当主夫妻の、冷泉家は国民の共有財産であるという考えから、
財団法人時雨亭文庫に移管され、調査・保存が開始されたのが、
やっと1981年のことだそうです。
ちなみに時雨亭とは、藤原定家の別荘の名前。

時雨亭文庫の記事は、1980年代当時目にした記憶があります。
すっかり忘れて30年、はじめて対面することとなりました。


・・・と、何かなみなみならぬ関心のもとに訪ねたように書いてみましたが・・・
全出品200余点のほぼ全てが、書。
書、書、書・・・書って、まったくわからないんです、すみませんっ。
申し訳程度に?最初に俊成・定家などの肖像画があり、
また料紙に綺麗なものもありましたが、あとすべて、字・・・読めないんです。

画などごく数点をのぞいて全部が、国宝・重文ということからしても、
いかにすごいものかがわかります。
定家の16歳頃から80歳で亡くなるまで書き続けた日記、明月記の、
現存する自筆本全てが巻物となって積み上げられていたり、
古今集・新古今集といった誰でも聞いたことのある古典や、
小野小町、清少納言はじめ百人一首で出てくるような人たちの私家集の、
鎌倉時代までの古写本が滔滔と並ぶ様は、すごいを通り越して、
背筋がゾクゾクしてくるはずです。
書がわかり、平安・鎌倉史に造詣が深く、和歌をたしなむ方々には、
今、自分でこれらを目にしていることが、信じがたいほどの幸福だと思います。
・・・哀しいかな、それらにまるで知識のない私でした・・・。

それでも、ずーっと見ていて、定家の書体はわかるようになりました!
ご本人、字がヘタだと思っていた節があるそうで、
たしかに、お父さんの俊成は直線的で大人びたスマートな字、
子供の為家は少し柔らかで流麗な文字なのに、
定家の文字は、墨つぎがポテっとした、頭でっかちのへちゃむくれ。
カタログ内のコラムでも「現代の漫画文字にも通じる」と書かれています。
1文字1文字を離したこの書体は、写本を間違いなく伝えるための創出だったようですが、
現代の私たちの一生に書く文字とは桁違いの大量の文字を、
日記として、仕事として、また、古い書籍の写本として、
深々と書き続けた定家という人の、後姿が見えてくる気がします。

また、一時「ていかちゃん」と愛称をつけられ、この展覧会のマスコットに!との、
マスコミ的な盛り上がりを見せていた、小さな定家の紙人形、
これを見ることができたのは、やはり嬉しかったです。
(「朝儀図 束帯人形」)
2センチ×2.7cmくらいの、ほんの小さな、墨描きの絵を切り抜いたお人形。
これを、大事な朝廷での儀式の予行演習に使っていたらしいのです。
儀式の場の絵図も残っていますから、ここでこうして、ここでこっちを向いて・・・など、
小さなお人形を使って必死で覚えようとしていたと思えば、
なんという親近感が沸いてくることでしょう。

「冷泉家」というのは、本来、定家から2代後の為相をはじめとするそうですが、
この展覧会では定家の印象がものすごく強かったです。
最も著名、ということもあるでしょうし、残した仕事が膨大であったということも。
しかしやはり、あの、独特の書体のお陰かとも思います。
知識のない私にも、人として、迫ってくる何かがありました。

なお、出品物のうち、一番興味がひかれたのは、
「公卿補任」!
今回出ていたのは俊成本でしたが、
「国史大系本の脱漏や誤りを訂正できる箇所も多い」
との解説を見て、学生時代、公卿補任様様で調べ物をしていたのを、
懐かしく・・・というかむしろ胸の痛む思いで振り返りました。


最後に、展示には関係がないのですが、カタログに載っていた、
現ご当主夫人、冷泉貴美子さん(この方が直系ご息女)の文章に、
次のような箇所があり、溜飲の下がる思いをしたので、かいつまんでご紹介。
−−−

現代は短歌が隆盛で、新聞の投書欄や宮中の歌会始にも何万首もの応募がある。
それらは皆、喜怒哀楽を表し、老いをおそれたり、夫を見送った妻の気持ちなど、
自己表現や個性が尊重されたものだ。
そういう考え方は、明治の文明開化で西欧から入ってきた、
「芸術」の一分野「文学」の考え方である。
明治以前の短歌とは、奈良時代以来の漢詩の素養に基づいて、
日本的な五七五七七のリズムに乗せて、ことばの美を詠むものだった。

「歌会は公の場である。そこにあからさまな私情を表現するのは最も下品なこととされた。
そこに洗練されたことばの美と、教養の蓄積された文芸が展開する」
「明治に「文学」を受け入れ、宮中さえもすべて芸術になった後も、
細々と「和歌」を守り続けて来たのが冷泉家である」

−−−
最後の「」内2行以外は私の要約なので、うまく伝えられているものか不安ですが、
昨今のすべての芸術分野での、個性偏重に辟易とし、疑問も抱いていた私としては、
こう、さりげなくもきっぱりと断言してもらって、まさに溜飲が下がる思いをしたのです。

ギリシア彫刻が美しく、天平仏像が人の心をうつのは、
全ての人に美しいと感じられる、普遍的なものを目指したからではないのでしょうか?
そこには、現代彫刻のような、妙てけれんな作者の自己主張など、
存在しないし、必要もなかったはずです。
普遍を目指しても自己は自然と表現され、個性は自ずと表出されるような気がするのですが・・・。
そのことを、いつも考えていたので、
和歌、となると知識がないだけに、私の理解ともしかしたら異なっているのかもしれないのですが、
でも、基本的には同じことではないかと思ったわけです。

当然ですが、だから現代短歌はダメですぐさま本来の和歌へ戻れとか、
そういうことは、貴美子さんもおっしゃっていないはず。
本来の姿を知り、その姿を今も守っている冷泉家のような存在を知り、
そこから、どうぞ、皆様の和歌をお作りください、と、何かそんなことを、
おっしゃっている気がします。
実はこの当日、2時から貴美子さんの「冷泉家の和歌」という講演会があったので、
この文章を読んで聴いてみたい気持ちがむくむくと沸いたのですが、
1時からの整理券配布の時点で既に館外へ続く長蛇の列だったため、
断念しました。
短歌を詠まれる方々の熱心さに敬意を表し、遠慮しようと思ったせいもあります。


とりあえず、200点を越える書を見終わって館を後にすると、
なんだか自分も、ゆかしく墨をすって、字など書いてみたくなっていました。
posted by まるさ at 12:58| 美術館

三展はしご・1 皇室の名宝展

東京国立博物館
「皇室の名宝」第二期
2009.11.12(木)〜11.29(日)
訪ねた日 2009.11.21


秋晴れの一日、上野公園内の3つの展覧会をはしごしてきました。

まずひとつめ、今上天皇即位20年記念特別展「皇室の名宝」の後期。
たくさん記憶に残ったものの中から、いくつか書いてみます。

10分待ちで入館すると、中は案の定ごったがえし。
入り口すぐは、考古遺物です。
あなどるなかれ、宮内庁書陵部陵墓課所蔵のものは、古いという価値以上に、美しい。

用途不明ながら35センチを越える大型の石器(二個)は縄文時代のものですが、
寸詰まりでずんぐりむっくりの出刃包丁型知恵の輪のパーツ、
とでも表現するしかないその謎すぎる形は、なでると安心できそうなどっしりした温かさ。
明治時代に帝室博物館でとりあえず「御物 石器」と札をつけて展示していたら、
いつの間にかこの形のものを学術的に「御物石器」と呼ぶようになったという、
なんだかほほえましい逸話もあります。

「流水文銅鐸」や「家屋文鏡」は、その美しさゆえに教科書などで見れば多くの人が記憶に残すもの。
「直弧文鏡」の斬新すぎる模様は今も人の目をハッとひきつけて放さないし、
竹ベラで穴を開けただけの目と口なのに何故か憂愁を感じてやまない女の子の埴輪頭部も、
日本人の心に直接響く何かを持っているように思います(「人物埴輪 女子頭部」)。


次は法隆寺献納宝物。
ほとんどが現在東博に納められていますが、秀逸なものは皇室に残され、
御物として留められたか、三の丸尚蔵館に所蔵されたものが今回出ています。

古い一万円札の聖徳太子の肖像の原画「聖徳太子像」(唐本御影)は、
真ん中の太子が大きくて、左右に小さい人物が描かれた、教科書にも載った有名なものですが、
御物なのでなかなか実物を見る機会はないはずです。
これを見るといまだにドキドキしてしまうのは、
高額紙幣を「聖徳太子」と呼んでいた世代の性でしょうか(笑)。

「法華義疏」は聖徳太子筆となっていて、弾力のある筆致で丸めの文字が綺麗に並んでいます。
本当に太子真筆なのでしょうか・・・。
カタログの解説もそのあたり微妙にぼかしていると、思えなくもありません。
これは推敲の残る草稿本。
飛鳥時代の誰かが、うーんと、えーっとと考えながら、これを書いた。
それが聖徳太子だったかもしれない。
それだけでも十分わくわくします。

「喪乱帖」は、王羲之の手紙三種類を写したもの。
唐時代の搨模(とうも=写し書き)品。
文中の署名によって、これの原本が梁時代に王羲之真筆と鑑定されたものだと、
わかるのだそうです。
書のちんぷんかんぷんな私には、見てもうーん・・・ごめんなさいわかりません、
なのですが、世界に一点も残らない王羲之の書の、真筆に最も近いもののひとつ、
となれば、その貴重さは充分にわかります。

他、5口の刀子の中には、正倉院展では見たことのない幅広のものや、キリもあり、
興味深かったです。
木画の箱も見れば見るほど美しい。



そしてここから正倉院御物。

「杜家立成」
光明皇后筆、唐時代はじめの往復書簡文例集みたいなものらしいです。
7メートルほどの巻子がはじめから終りまでゾロッと開かれて展示されていて、びっくり。
解説にもあるように、最初は気合を入れて綺麗な楷書なのに、
だんだん崩れて草書っぽくなり、途中で何度も気合を入れ直したように文字が整うものの、
すぐにたらっと草書に戻る、という繰り返しがよーくわかります。
文字の下手な私もいつも手紙を書くときなどその繰り返しで、
結局読み直して、己が字の下手さにがっくりするので、
光明皇后、これ書き終わってちょっと後悔したんじゃないかなと、想像します。
何せ一番最後の一字は「これでおしまいっ!」と言わんばかりの、
ちょっとやけくそな太くて薄くてでっかい文字になっていますし(笑)。
先日奈良の正倉院展で見てきた同じ皇后の「楽毅論」と比べても、
気合が抜けまくっているのがわかります・・・むしろ楽毅論は相当集中して書いたのでは。

「人勝残欠雑張」
これはハンカチくらいの一枚の布に、小さな子供や、おそらく犬のしっぽ部分や、
樹木、文字、レースの飾りみたいなものを貼り付けたようなもの。
「人勝じんしょう」と言って、正月7日に長寿や子孫繁栄を願って、
色絹や金箔で人形や動植物などを作り、屏風や髪飾りにして贈ったそうですが、
これは、その人勝の残欠2つぶんを、一枚の布に貼りあわせたものだそうです。
こが何だか可愛い!
子供ならではの眉を寄せて口をとがらせた無邪気な様子も、お尻だけの犬も、
一度見たら可愛らしくて忘れられません。
周囲のレースに見えるものは、細かく切り抜き細工のされた金箔なので、
とても豪華でもあります。

「紅牙撥鏤尺」
「緑牙撥鏤尺」
撥鏤ばちるという、象牙を色で染めてから毛彫りで装飾する技法を使った、尺。
尺は定規ですが、これは儀式用と考えられています。
紅のほうは綺麗な深い赤、緑のほうはおさえた紺色。
正倉院御物と言ったらまずは紅牙撥鏤尺でしょう!と言いたくなるくらい、
他では見たことのない綺麗なもので、大好きです。
花卉や飛鳥、含綬鳥などが非常に上品に配されています。
緑(紺も緑と言っていたらしい)のほうは同じ意匠でももっと豪胆な感じですが、
残念なことに剥落が多いです。

他、「銀薫炉」は透かし彫りの装飾がほどこされた銀板で球形に作られた香炉。
中が三重だかになっていて、転がしても火皿が常に水平になるすぐれもの。
「螺鈿箱」は伏彩色といって、可愛い花模様の上に水晶をはめて透明な色石のように見せる装飾が、
上品な意匠を更に際立たせて美しく、
「沈香木画箱」ではいくつかの長方形の小窓に描いた花卉や動物たちの画の上に水晶をはめ、
周囲の金泥描きの山水図とともに、魅力が凝縮された小箱となっています。
また目玉出品のひとつ、「螺鈿紫檀阮咸」は背面の螺鈿の鸚鵡の細工の見事さに感服します。
「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」「漆胡瓶」そして「赤漆文欟木御厨子」他まだまだ、
見ごたえある出品物ばかり。
毎秋、奈良まで出かけられない方は是非、この機会に見てください、
大混雑には相違ありませんが、正倉院展よりはまだしも楽です。


実はここまでが第一章。
この後の二〜四章は、天下の名筆や御所を飾った書画、そして名刀。
美しいばかりでなく、「伊都内親王願文」「蒙古襲来絵詞」など、
史料的価値の高い興味をひかれるものも多く出ていました。
ほとんど知識がないので、ただ綺麗だなとか面白いなと、ほけーと見てきましたが、
蒙古襲来絵詞の日本側の足軽さんが二人とも、
初恋スリッパのようにカカトのないワラジをはいていたのが、
なんだか気になって気になって・・・(笑)。

いずれにせよ、御物は勿論、三の丸尚蔵館蔵品も、簡単には見ることのできないものばかり。
伝えられてきた日本の美意識が心強い自信となって、
身内に温かく積もっていくのを感じると思います。

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東博本館
いつもすいていてもったいないことこの上なし



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特別展会場平成館前
行列です・・・



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銀杏の黄色と表慶館の屋根
銀杏の黄色と屋根の緑が綺麗だったのですが写りが悪くて残念



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法隆寺宝物館
賛否ありますがやわらかな線が私は好きな建物です




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法隆寺宝物館側から池越しに見た黒門
時期によってはこのように門があいていて、くぐれます



書いた日 2009.11.24
posted by まるさ at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 博物館

2009年11月24日

2009年・秋旅4(完) 唐招提寺

奈良大和郡山斑鳩線

奈良県の県道9号は、こんな魅力的な名前で呼ばれているそうです。
wikiによれば、三条大路五丁目交差点を起点として中宮寺東交差点まで、とありますが、
地図で見れば平城宮跡の西端を南下して西の京を通り、
九条あたりで西に折れて郡山城を迂回し、法起寺前を通って法隆寺へと続いて見えます。

近鉄の接続が悪かったのと、朝と昼過ぎの事故でダイヤが乱れていたのとで、
興福寺を出てとりあえず西大寺駅まで来たものの、
唐招提寺へは、降りてタクシーを使うことにしました。
その際、この奈良大和郡山斑鳩線を走って唐招提寺に向かうのです。

主要県道なので狭い割りに交通量が多く、
決して古都の風情を感じる余裕のある道ではないのですが、
それでも、傾き始めた柔らかな秋の陽射しに、
ぽつぽつ残る畑地らしき枯れかけた緑や、
ため池なのか小さな水場がキラキラ光ると、
懐かしい気持ちになってしまいます。

やがて右折して秋篠川を渡るとすぐ、角のところで大きな工事をしていました。
タクシーの運転手さんが、唐招提寺が何か作っている、と言ってましたが、
お寺で確認してこようと思って忘れてしまいました。

今年、正倉院展とともに目的だったのは、興福寺の「お堂で見る阿修羅」と、
平成大修理完成後の唐招提寺金堂を訪ねることです。
11月1日〜3日までの落慶大法要の後、4日から一般公開が開始されたのです。



南大門に停滞する団体さんをくぐりぬけて境内に入ると、
懐かしい金堂が。
2000年の秋、工事用の青いビニールシートの向こうに、白く見えた曇天、
あるべきものがそこになかった、あの衝撃から9年。
記憶よりも、少し、少しだけ、本当にわずかに鋭くなったような印象とともに、
また、このまろやかな御堂に巡りあえた。

心急くままに正面柱に駆け寄れば、
その甘やかな丸みさえも大切すぎて、触れることも躊躇われ。
そっと金堂のほの暗い扉内に目をうつせば、
9年の年月など何ほどとも感じさせぬ、三尊の巨きな輝き。
いつもなら「ただいま」とつぶやく所、この日ばかりは「おかえりなさい」と囁いて、
小さく目を閉じ手を合わせ。

その時、ふわりと身を包んだのは、清しい木の香。

大きな柱たちのうち、新しくしたものは背面扉右側の一本だけと聞いた。
他は全て、古材を再度使ったと。
それなら細かい部分の新材の香りだったのか・・・それとも、
1300年前の古木が、大切に磨かれて今また鮮やかに香ったのか。

そしてどれほど千手の手を眺め、
盧舎那の瞳をのぞきこみ、薬師の腹を見ていただろう。
飽きることなど不可能なこの時間に終止符を打つのはいつも、
帰路の新幹線の指定券という無粋さ。
否、現実に生きていかなければならないという、ただそのこと。
さなくばこの吹き放ちの柱の影に、ずっと座って潰えて悔いないものを。


この寺に来たなら、鑑真和上の心意気に、微々も微々たる庶民ながら応えるためにも、
戒壇をだけは覗くように、なんとはなしにそう思って、西へまわれば、
小さな池に、紫の・・・アヤメなのか菖蒲なのか、そんな花がこの時期、
咲いているとも思えないのに、3つ4つ、綺麗に花をつけていた。

取り巻く築地に作られた小さな門越しに見える戒壇は、
黒灰色の寂しい石段で、
上に白い小さな仏塔を、これも寂しげに戴いて、
和上の熱かったであろう想いの、今はこれだけが形なのかと、
やはり、胸の潰れる思いが去来。

けれど、まだよちよち歩きの、小さな子を連れた若い夫婦が、
同じく門越しに覗き込んで、何か話しているのを見れば、
その会話がたとえ信仰とは無縁のものだとしても、
幼子の目の記憶の底に戒壇が沈むのなら、
それだけで和上の想いは消えずに続くのだと、少し明るい気持ちにも。

今年まわったのは、あと、講堂と、礼堂真ん中を抜けて新宝蔵。
御影堂のほうへはまわれなかった。
講堂も懐かしく、あの独特の雰囲気は他には知らないし、
新宝蔵には二度と空へ上がれなくなった創建当初の鴟尾や、
唐招提寺のトルソーと呼ばれる壊れ仏が、
9年前、薄暮れの雨の講堂で私を睨んでいた薬師如来などとともに並んでいる。
靴を脱いであがるこの宝蔵も、人さえいなければ、真ん中で座り込んで、
私はきっと動けなくなる。

後ろ髪を断髪する気分で南大門まで戻れば、
あとは全て諦めて、帰路につくのみ。
ここまで来て、そして西の京駅まで歩いて、それでまた、
薬師寺に寄れなかった・・・こんなことの繰り返しで、
なかなか、聖観音像に再会かなわずにいるけれど、
来春奈良博で開催の「大遣唐使」展におでましになるらしい。
うっかり、そんな時に限って薬師寺再訪してしまわぬよう、気をつけなければ・・・


訪ねた日 2009.11.9
書いた日 2009.11.24
posted by まるさ at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺・仏像など